コロナとの闘いの勝利(2022年3月)

医療法人全仁会 東都春日部病院
院長 木村理
理事長 大坪修

コロナとの闘いに勝利した。

2022年2月14日に我々のコロナ入院患者は28人と最大となった。
その前後も25人前後と14日をピークにしている。

この事態を我々は毎日の院長モーニング会議、第6派会議で乗り切ったのだ。
公式の県に報告してあるコロナ病棟は、3階B病棟に12ベットを使って、うち入院患者用5ベット抽出していた。そのうち1ベットは水道と配管のある透析用個室である。

しかし20人以上の発生に対しては、4階の療養病棟をそのまま隔離病棟部分として使うアイディアを採用した。初めの区画は床に置いた歩行禁止を意味する「鎖」だけであったが、お手製のビニールシートで隔離病室を含む廊下を覆ったのである(図)。

我々の病院は箱形の病院でゾーニングが難しい形をしている。これはコロナ病棟を作る時からの課題であった。1年半以上前からその時に熟考していたことが、チームワークが基礎になり熟成していて我々は療養病床の区画・ゾーニングに対しても素早く対応することができたのである。備えあれば憂いなしとは、物質的・物理的なものだけではない。普段からの「心構え」も重要な「備え」となるのである。

我々は院内の療養患者の発生があるたびに部屋を増やし、そこに隔離していった。ビニールシートで囲まれる部屋や廊下の面積も伸縮自在で、区画した。その時は男女混合病室も可と決断したのであった。これは木村理のこれまでの東京大学医学部付属病院での肝胆膵・移植外科の時の病棟医長の経験を生かしたものである。男女を分けていると思いのほか、ベットコントロールがしにくい。男女同室を可とした途端に、ベットコントロールがしやすくなるのである。意識障害のある療養の患者に対してはこのコロナ状態、混沌の中で男女混合をすぐにオーケーした。あとは患者を症状ある・なし、濃厚接触など分けて部屋を移動するだけである。我々は1月末から3月に至るこの1か月半を見事に乗り切ったのである。すでに患者は1人、抗原検査が陰性に1か月もならない患者がいるだけで、3月1日には「院内発生コロナ終息宣言」をした。

2月に行われた委員会は少ない。院長の昼礼、感染対策委員会、医局会のみとし、他の委員会はすべて中止とした。毎日のコロナ発生とその対応に追われていたこと、委員会を開いて感染を広げる機会が増えるのを抑制すること、が主な理由であった。

それらの会議の中で、「この病院はクラスターではないですか?」という議論があった。そこれ院長がきちんと回答できなければ病院のやって生きたことが崩れ、職員が浮き足立ち、統制はとれなくなっているところであった。「クラスターの定義はない」というのがキーワードとなった。春日部市保健所に問い合わせたところ、そのような回答であった。我々はコロナを制御し隔離し、コントロールできているのでクラスターではない、と考えていた。しかし184ベットのうち、28ベットがコロナ患者という2割弱のコロナ患者の発生を見て、また入院134人のうち28人、2割強の集団発生はクラスターではないのかという一抹の不安は残った。

クラスター発生したら補助金がもらえるとの事務連絡があり、クラター認定をする埼玉県保険課には我々の行っているすべてを公開し、発生患者を報告し、むしろクラスターとして認定していただき、十分な補助金をいただきたいと思っていた。そうすれば「病院で指定した個室料金は取れない」というようなコロナによる病院の出費の持ち出し等を含め、自分たちが実際に行ったことに対する補助金が正当にいただけるからである。病院はボランティアではなく営利機関である。

しかし、県の保険課からの判定は東都春日部病院は「クラスターではない」といことであった。この報告を各師長たちに真っ先に報告に行った時、皆感涙にむせっていた。クラスター病院でなく安全できれいな病院であることを達成できたことを皆、心から喜んだのである。

さらにクラスターになったのと同じ満額の補助金が出ることになったことに病院は湧いた。我々が毎日努力してきたことが、県に、保健所に国に認められ、ひいては社会全体に地域に認められたのだ。

病院一丸となって働いた、コロナと闘った努力が実り、コロナに勝ちそれが国に社会に認められた感激は大きく、心がいっぱいになったのだ。
さらに、我々のやり方のように、コロナ患者が発生したら、その病院、老健で見るのが一番いい、ということも、後倒しで報道されていた。それまで毎日コロナと闘ってきた病院ではそれができるのだ。みんなの知識を合わせ、闘っていくことができることを我々は肌で知った。専門医の知識はすでに我々医療者全員の力で十分に達していたのである。


図:ビニールシートによる隔離

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